この場所

昨日もありがとうございました。

楽しいというか、そんな言葉では表現できないんだけどさ。

ここに来てくれている方がよく言うてくださること。

「ここのみなさんに会えてよかった。」「この場所にくると安心する」「ここは私にとって貴重な場所です」って。ありがたいなぁ。

何度も書いていることなんだけど、ほんまにええ人っていうか、純度の高い人しか来ないねん。不思議やわ。ただのええ人ってことではなくてね。

 

昔はとにかく身体を動かしていきたいので、1分でも早く!って感じで動いてたんだけど、ここ何年か自分の近況や考えをシェアする時間を大事にしています。めっちゃしょーもないというか、なんでもない日常な話から、なんでもええんです。とにかく声を出す。これするとエネルギーの流れ良くなるんよね。不思議と。

で、昨日は命について話した。私より少しだけ年上の世代はもう介護や看取りの世代。

自分の家族が死んでいく。

考えてもわかることじゃない。共感はできるよ。でもね、やっぱりわからん。考えることじゃないというか、ほんとに心のそばにいることだけしかできない。そんな時間をみんなで過ごします。

すると、「余命の告知」を考えている方のお話。「交際相手と幸せに過ごしている」て方の話。全然別の話やで。せやけど、いろんなことがリンクしていく。

それぞれにそれぞれの立場で共感というか、寄り添う。

 

ただそれだけやねん。

でも、そこからコロコロ転がっていく。ほんまに不思議や。うまいこと言われへんけど、とにかく命について考える。

 

昨晩はなんとなく夕方洗濯しました。

すると、物干しにしている駐車場でパタパタ聞こえる。

車の下をのぞくと、黄緑色の綺麗な小鳥が、後ろでんぐり返しをし続ける変な光景。

こわ!と思ったけど、気になってしばらく観察していると、しっぽが変だ。

背骨?なのかな。折れてる。飛ぶに飛べないんだ。

どうしよ。

どんどん弱っている。

でも生きている。

どうしよ。

 

でね、そのまま放っておいたら、確実に死ぬ。朝ようちえんに行く駿太朗が見る。どうしよ。

数分が何時間にも感じるほど考えた。

で、私は見せることにしました。

 

死にかけている綺麗な鳥を二人でしばらく観察。

「かわいいねー。」

「あ!けがしてる!」

「うごかなくなってる。あ!うごいた!」

 

私がなるほどなーと思ったのは、駿太朗が「かわいそう」って言わなかったこと。

で、生き物に詳しい私の弟を呼んで、とりあえず地面じゃなくて土の上に休ませてやろうってことにしました。

 

うちに入り、お風呂に入りながら話してると、

「おかあさんがしんぱいしてるかもしれないね。」

「おともだちにあえないね」

なんか3歳ながらいろいろ考えたんだろう。

見せてよかった。

 

夜中に気になってまた見に出たら、でんぐり返しはしてなくて、ちゃんと座って丸くなってた。死んだかと思ったんだけど、ふーっと息を吹きかけると、ぱちぱちっと目をしばしばさせてた。そしてまた眠ってた。朝になりました。死んでたら埋めてやろうと見に行くと、いなくなっていました。猫につれていかれたかな。

 

なんかね、クラスでは自分の考えを話したりするんだけどさ、小さな小鳥の死ですらわなわなするわけで、生きるってことを言葉じゃないなにかで感じた命の日でした。

 

6月もまた待ってるねー。

 

こころのそばに。