から揚げにレモンかける人

こないだのお茶会からなんかモヤモヤが残ってました。うまく伝えきれないというか、なんちゅうか。

私たちは年齢を重ね、不自由になることと、自由になることがあるって話が出たんだ。
例えば、若い頃は疲れ知らずだったのに、年をとって…みたいなね。
それはよく分かる。

私はそっちではなく、ずっと自由なんだってことが言いたかったの。
うまく言えるかな…

あのさ、みんなが注文したから揚げにバーってレモンかける人いるでしょ?私はあの人めちゃくちゃ嫌いなんです。
でも、いいと思ってやってはるわけやん?
みんながおいしいと思うだろうってやってはるやん?
みんなのために、私の手を汚してもってやってはるわけやん?

やめろって言いにくい。
今日は塩だけで食べます。とか、
今日は、バリッと感を満喫したいです。とか、

だって、もうかけてもてるやん?
ほんま嫌い。

これやねん。
いいと思ってやってることが本当に求められてることなのか?ってこと。
私は皆さん生徒さんにしても、必ず私はこうやねん。みんなはどう?って言うでしょ。反応なかったりすると、

あ、私の答えが自分の答えやと勘違いしてはるわって思うから、何度も言うし、違うアプローチ考えまくるし、あなたの話ですよってことを伝えるようにしてるし、あなたの自由なんですよってことを伝えたいと思ってる。だから、いま、あなたどう?ってね。
私の親はレモンかける人やねん。
だから、小さな頃から苦しくて仕方なかった。
だってそれが愛情やと思ってる人なわけやん?やめろってどうやって言うん?

でもね、産後退院してきて、うちで子育てを満喫しようとしてたら、レモンかけに来てん。
手伝ってくれることはとっても有り難いし、助かるんだろうけど、全然助けていらんってわかる?
だって全部愛おしい瞬間やねん。
その瞬間をバーって横取りするのって愛情?

これは私が実際に子供達に接するときに一番気をつけるというか、こだわってるところでもあるねん。どうしたい?ってことを絶対聞く。
こうした方がええよ的なことを言わないようにしてる。実際目の前で失敗する姿を見るときもある。でも、その選択自体を尊重してるので、2人で笑う。そして、またチャレンジする。

私はこうやねん。
あなたはどう?

のコミュニケーション取れない日本人はとても多いので、海外で生活してきた友人が話しやすかったり、そういうコミュニティにいたことのある人とのやり取りは私にとって自然というか、ありがたい。

小さな頃からみんな一緒にレモンかけなあかん国で育った私は、ずっとパリッとしたから揚げ食べたかってん。
だから、自己主張の強い、気の強い人やと思われたり、気難しいやつだと思われたりしてきたわけだけど、私にしたらみんな言うてくれな、ほんまにわかり合うってことでけへんやん!って怒ってきたんだ。そして、また怖い人だと思われる…ってね。

でも、ありがたいことに、から揚げパリッと食べたかった人たちに出会えて、今日はレモンにする?塩でいく?なーんて、楽しい人生なわけ。

大事なのは、みんなバラバラでいいってことじゃなくて、パリッと希望しといて、レモンかけんかったくせに、レモンにすれば良かった…とか言うなっちゅう話。
その時その時の選択は自由だけど、責任逃れはできまへんえ。っちゅうことわからんと、あーすればよかった、こーしとけばって、おもろないでって。何回もやったらええやん。毎回違うくてええやん。全部試して一番しっくりに落ち着いたらええやんかいさ。だから、まずやろ。いろいろ楽しも。

それが、私の言うてる練習っちゅうやつです。

決まったことを、決まった通りにやることやないねん。その瞬間を大事に自分の感覚を大事にするねん。そしたらきっと誰かの気持ちにもっと寄り添えるちゃうかなーって。それが自由なんちゃうかなーって。それが生きるっちゅうことちゃうかなーって。

だから、お茶会で大人になった方が不自由にって言葉にものすごく違和感を感じてしまったんだ。
だって、大人になるってことは、知識も増えるでしょ?言葉も増えるでしょ?責任の範囲も広げれるでしょ?
超自由じゃねーーかーーー!ってね。
すべての選択を選べるんだから、自分のための選択肢をどれでも選べばいいじゃねーかー!ってね。

きっとややこしい人やと思われるだろうな。
きっとわがままだと思われるだろうな。
自分勝手に見えるだろうな。
誤解されるかもしれないな。

そんな心配より、そんな不安より、その選択は自由だし、分かり合える言葉を使えるし、想像力は無限なんだから、魂の震える方に進むだけだよーって思ったわけさ。