愛の反対語

愛の反対語は憎しみではなく、「無関心」だとよく聞くよね。

これってすごく納得いくというか、想像できるというか、だって、憎しみ合っているうちはまだお互いの存在を認識しているものね。もうさ、無関心なんて相手の存在これっぽっちもないもんね。

ま、そんなことはいいんだけど、じゃさ、愛ってさ「関心を持つ」ってことだよなーとふと思ったのさ。

 

これって大事くね?

お前のことなんてどーでもいい。の反対。

 

なにが好き?

どんなことしたい?

どこに行きたいの?

これは快適?

どれがおいしい?

 

ってね、ただ関心を持つ。

 

これは自分自身にもできるよね。

そして、これって自分自身にやるイメージしやすくね?

ただ自分に聞いてあげるの。どうしたいの?

なにが食べたい?

どこに行きたいの?

 

私の周りには、私やシュンシュンに関心を持って下さる人がいっぱいいる。

愛してくださっている人がいっぱいよ。最高くね?

赤ちゃんやしこうしとけばいい。とか、こうしとかなあかんで。とか。そういうのがいややったんやな。

本能でそれは「愛」やないって感じてたんや。

 

今日はどうしたいの?

これはすき?

っていつも「今、その時」を見ていてくれる。

 

今日もしあわせは無限だ。