2月も無事に

2月も無事全てのクラスを終了しました。

練習に来てくださったみなさまお疲れ様でした。

昨年から継続して、目に見える肉体だけでなく、「気場」「エネルギー」「プラーナ」について、大きなテーマに取り組み始めて、みなさんで意見交換などおもしろいことになってきました。

みんなの経験からの気づきによる、大発見に毎回細胞までブルブルします。みんなはどうかな?

ほんとにすごいことになってきたよね。

 

来てない人にはなんのこっちゃセンターですが、、、。

ご意見の中や、カルテなどに書いてくれた中で、私が今月すごく響いたのは、

 

「受け入れ合える関係」っていうのは「同一」「同化」することではないんだってこと。

「成長」「成熟」っていうのは、生きてれば勝手にするものでなく、能動的に自分からしていくものなんだってこと。

 

どちらも、当たり前でしょ。

でもね、この奥深さにやられたよ。言葉の向こう側にその方の「体験」や「発見」があったことがすっごいわかるの。

人間生きていると、だれでもなにかを発見し、「わかる」ということが起こる。でも、それが誰かの受け売りや、テレビで見るような断片的な情報だけで「わかったような気がする」ような「成長」や「成熟」とは、わけが違うというか、次元が違うんだよな。それが「話す」ことで「発見できたり」「共有できる」ことの1番大事なことだと思う。

 

「気場」「エネルギー」「愛」なんかをテーマにすると、「現実逃避」だと捉える人もいたようで、それもおもしろかった。そうではないんだってことが、少しづつ共有できた時間がすごく貴重でした。

 

「受け入れ合える関係」もそうで、一見「仲良しこよし」な感じがある言葉ですが、日本にいるとわかりにくいですが、1歩外に足をふみだすと、「人種の違い」「宗教の違い」「生活様式の違い」「分解の違い」など、大きな違い、小さな違い様々すぐに見つかります。その違いを「一緒にしよう」とはそもそも思わないよね。「ただ理解する」それで十分なんだ。

 

でも、単一民族で育った私たちは「理解する」イコール「同化して、同じになる」って思い込む。これはただ「好き」「嫌い」と直結しているからだ。

 

違っても、同じでも、「好き嫌い」とは関係ないんだってことがわかると、それぞれの「自由」が大事にされる。「それぞれの自由」を「同じ」にしようとするそれは一体どこから来たんだろうって話をしたんだ。おもしろかったよ。

みんなも考えてみてね。

別に答えないです。

 

 

そして、最後に「なる」んではなく、「在る」んです。っていう話もしたね。

なにかになろうと頑張る必要はないってね。

自分自身の「在り方」は完全に自由です。

それをすぐに明け渡してしまう癖をなんとかしようって「呪文」をお伝えしたよ。ぜひ3月試していってね。面白くて仕方ないことが、いっぱい溢れ出すよ。

 

では、3月は土日のみのクラスになるけれど、みんな練習お楽しみに!

臨時休業は3日土曜日のみです。