生まれたときから自由だ

私たちは、親から生まれてきます。
そして、家族や世間に育ってもらい、大人になります。
そして自立し、自由を得ます。って流れが当たり前なのかもしれない。
でも思う。
生まれた時から「自由」ではいけないのか?
自由でいることは「自己責任」で生きること。
責任って「お金」の問題もたくさんあるけれど、そんなのなんとかなるんじゃねーか?って子供の時から思ってた。
本当に困った時は、だれかが助けてくれた。
泥棒になることなく生きてこられたのは、親のおかげさまでもあるが、親がいようがいまいが、泥棒になる人はなるし、ならない人はならない。
親がいようが、いなかろうが、「寂しい人」は寂しい。
親がいようが、いなかろうが、「幸せな人」は幸せだ。
「自分の意思」を伝える力は、言葉を覚える前から備わっている。相手の想いを感じる能力は、言葉とがではなく、お腹の中にいるときから感じている。それが1番近いのがお母さんなだけで、この地球、この宇宙にいったいどれほどの人がいるのかを考えたら、たくさんの人とそんなことを分かち合えたらどんなに面白いだろう。
お腹空いたり、おむつ変えて欲しかったり、必死で伝えるわけだよね。それをだれかが感じて、聞いて手を貸してくれる。自由でいることって、そんなコミュニケーションをとり続けていくことが生きていくことではないのか?責任を取り続けるって、そんな関係性をの中で学んでいくことではないかと強く思う。もちろん子供の頃は言葉がうまく使えないわけだから、意思疎通に時間はかかるし、身体がうまく使えないから時間もかかる。
海外の人と、友達になるときもそうだ。何が言いたいのかわからないから、ときにはイライラするし、わかりあえないことに悲しくもなる。でも、「知りたい」という想いだけでその関係性は続くもんだ。「興味」がある。ただそれだけで、ワクワクするもんだったりする。
昔読んだ本の中にあった。「愛」の反対語は「暴力」でもない。「嫌い」でもない。「憎しみ」でもない。
「愛」の反対語は「無関心」だ。
と書いてありました。
私は永遠の愛をもって自分自身を愛し、家族を愛し、友人を愛し、すべての人を愛し、愛され生きたいと思っています。
そうやって、自分自身の意思を大事にすることや、自分自身を知ることや、自分自身を愛することを知ることって、だれかにしてもらうことじゃない。
 
人は一人で生まれてきて、一人で死んでいく。
そんな当たり前のことにごちゃごちゃ周りがいろんなことを付け加えるから、生きることにこんなにも混乱している大人たちが多いのではないか。と思う今日この頃。
 
そんな当たり前を心から体感した人は、宇宙の繋がりが感じ、愛されていることを実感し、愛し、愛されるこの世に感謝する。
そういう意味で、私に、地球に、宇宙に会いにきたお腹の中のこの子は、どんな意思を持ち、どうやってお腹の中から出てくるのかとっても楽しみです。この子の「意思に」、この子の「自由に」どれくらい寄り添えるのだろう。

 

あと3ヶ月、自分自身のことにしっかり向き合い、心身ともに身支度を整え、その日を迎えたいと思う。