鍼に行く途中、FMから流れてきた加山雄三。80歳になったらしいぞ。すごいね。
歌詞の中に「若造では気付かない大事なことに気づく 命の重さや・・・なんとかかんとか」っていうもの。80歳になってなんか気づかはったんやろな。
でも、80歳ではない私だからか、ものすごい違和感あった。
人って生きているだけで様々な経験をするわけで、「知らなかった」ことを「知る」という意味では、長生きすりゃ物知りになるのかもね。そういう意味では若い時に「気付かなかった」のかもしれない。それはわかる。
でも、もっと大事なことって、その人の中に産まれたときからあるような気がしている。
私は外で畑をしているせいか、子供が寄ってくることが多い。
仕事柄いろんな人と、本質的なことを話すことが多い。それこそ命についてとかさ。
うーちゃんにしても、この子は5歳やから、6歳やから、こんな話をしよう。とか、思ったことない。10歳になっても同じです。
なにが言いたいかというと、子供だろうが、大人になってようが、「気付く人」は気付くし、「気付かない」人は、どんなに説明しても気付かない。
それはその人の中にある種みたいに感じる。
通じ合えるというか、大事なことが伝わる人と話しているとき、「おれはこんな芽が出てきたよ」とか。「わたしは、こんな花が咲いた」とか、お互いにそんな芽や花、実を見せ合うみたいな感覚で、それが全然違う花だろうが、実だろうが、楽しい。
もちろん、もうとっくに大人で、いろんな経験をしたのか、してないのか、50歳、60歳を超えようが、大事なものがずれている人はいる。それもその人の自由やし勝手にどうぞです。自分の中にそれはあるのに、自分以外のものを見続けている人もいる。
ヨガをしに来てくれた人の中には、病みすぎて、自分自身の土台がグダグダな人も多い。
それでも私は、その人なりの種はあると信じてるので、お話を聞いたり、教えを伝えたり、練習するわけ。すると、土台である身体が肥沃になり、種にお水が伝わり、どんなに小さな芽でも出れば、そこから花が咲くのは早い。それを見るのがほんとに感動するわけ。
私がどんなにその人の種を発見して、どうやって育てたら楽しいかを閃いても、本人がその種を認め、育てないと花は咲かない。要は、すべて自分が自分のそれを信じれるかどうかなんよな。
頑張ることでもなく、ただ発見し、大事にする。自分自身にすることであって、人のためでもなんでもない。だから、最近は私にできることはするけど、それ以上は無理。ってことも大事にしてる。その人のタイミングで発見することや、その人の納得したやり方で育てるのが1番いいからさ。
私にできることは、今日も「yokoの脳みそ」ノートを更新し、誰かのヒントになれば嬉しいなーと半笑いになることくらいです。うひひ。
12月もどんどん更新するからね。クラスのときに見てね。