思いやりが軸にあるとき

最近手に取るものが、タイムリーすぎてびびる。聞くことや見ること、知ることすべてが「今」やなーって思うんだ。

 

昨日は、しんどくておうちでごはん食べ、母とテレビを見ていると、腸の話。うんこの話がやってて、私はクラスでもほとんどうんこの話をしない日がないほど、うんこです。

 

よく聞く腸の蠕動運動。これは、ゆっくりゆっくり食べたものが、腸の中を移動しながら、うんこになる腸の動きなんだけど、私のうんこは、ぽーーーーんっと、軽々出てくる。

トイレで15分とか、意味わからんって思ってたの。

そしたら、なんと「大ぜん動」というのがあるらしく、母と、「おれたちこれやー!」と大興奮しました。なんと、蠕動運動の200倍の速さで腸が動いている人のこと。

これです。

 

1日のうち、空腹時間の長い人は、おなかの中が楽チンなのでうんこ出やすいっていうのは当たり前の話だと知っていましたが、200倍もの速さだったとは。

そら、トイレで30分とか、かからはる人いるわ。妙に納得。

私が10秒やったとしたら、2000秒、33分かかるねんもんね。

トイレに30分も座ってたら、それだけで、寒くておなか痛くなるわ。結論→空腹時間が大事。ケツ出す時間は10秒で十分。

 

 

ま、そんな話はどーでもええねんけど、10年ほど前に観た映画をまた観る機会があって、少しづつ分けて観てたんだ。泣きすぎてしんどいしね。

 

病気、命、家族の話なんだけど、長女が不治の病いとされていた白血病で、腎臓移植が必要なのに、両親も兄も適合せず、いつ現れるかわからないドナーを待つ。そんな時、公には言えないが、遺伝子組換えでもう一人子供を産めばその子がドナーとして役に立つというもの。

 

両親はその小さな望みにかけ、女の子を産みました。ドナー用の子供です。

産まれてきたその子は小さな頃から、検査づくしで、細胞を採取され、骨髄を採取され、いよいよ11歳になり、おねーちゃんに腎臓を提供するというとき、ある行動を起こします。

 

病気のおねーちゃんに早く元気になってほしいという願いは家族全員同じです。

命がけで子供を守ろうとする母親も、家族のために必死に働く父親も、自分に目が向かない寂しさを感じても、それよりおねーちゃんが元気になることを望む長男。おねーちゃんのために産まれてこさされた妹だって、自分のおねーちゃんに心から元気になってほしい。

家族全員が病気の子のことを思い、生活し、行動してきたわけですが、病気だろうが、元気だろうが、「どう生きたい。」「どう死にたい」もその子が責任を持って考えることだということを忘れています。長女は自分の命に向き合い、答えを出します。その答えを伝えるために、ものすごい時間やこころを使い、伝える話。

 

こないだもミワコロノヘヤでみんなで話してたんだけど「自立」することと、「孤立」することは違う。自分勝手に好き勝手に生きることが自立ではなく、一人ひっそり死んでいくことが自立でもない。

その家族のすべての人の思いやりが形になった映画で、また号泣ですわ。

どんな厳しい現実があっても、どんな厳しいことを伝えるときも、思いやり、愛が中心にあるとき、必ずそれは伝わるんだろうな。

 

いい映画に感動したのでした。